四ッ谷荒木町界隈は美濃高須藩主、松平摂津守(まつだいらせっつのかみ)の広大な屋敷跡にできた街です。明治維新により払下げられた屋敷、日本庭園跡は絶景を誇り、当時の庶民の憩いの地として大変に賑わったといいます。さらには大正から昭和中期にかけて、東京市中でも有数の花街・三業地として大いに栄えた荒木町周辺を、春の一日、カメラ片手に散策してみました。 四ッ谷〜荒木町にかけては、ここに紹介した以外にもたくさんの見どころがありますが、今後、徐々に紹介していきたいと思っています。セピアカラーのイラストは、花街華やかしき頃に荒木町検番に併設されていた、荒木町芸妓学校の生徒さんが描いたものです。
1 四ッ谷見附 JR四谷駅前に残る、かつての江戸城外壕沿いの石垣です。この附近のお壕は埋められて上智大学のグラウンドや小さな野球場などに変わっていますが、市ヶ谷や赤坂見附のほうへ少し足を伸ばせば、今も満々と水をたたえたさまを見ることができます。石垣上には桜並木が続き、花の季節には見事な景観をつくりだしています。
2 須賀神社 四ッ谷界隈の氏神様です。附近は起伏にとんだ地形で、須賀神社は高台に位置し境内からはちょっとしたパノラマを楽しめます。毎年5月におこなわれる大祭で練り歩くお神輿が納められている車庫?も境内の一角に並んでいます。
3 曙橋附近 この辺り一帯は標高が周囲に較べてやや低く、かつては葦の茂る湿地帯だったそうです。曙橋は外堀通りの延伸に合わせ、靖国通りとの交点に架けられた橋です。近くには、六本木から引っ越してきた防衛庁や、中央大学市ヶ谷校舎、警視庁機動隊の施設が広がっています。靖国通りに沿った地下には都営新宿線・曙橋駅が設置されています。
4 津の守坂 津の守(つのかみ)の名の由来は、現在の岐阜県美濃高須藩主・松平摂津の守義行からきています。徳川幕府よりこの地を上屋敷として与えられた摂津の守は、邸内に山在り谷在りの風光明美な庭園を作り上げたといわれています。津の守坂はその名残りでしょうか。義行はまた高須藩領内の経営にも熱心で、治水や年貢の低減に努め領民からも慕われたと記録にあります。
5 津の守弁財天 住宅地の中にひっそりと佇む小さな弁天様です。弁天はもとは土地に豊穣をもたらすインドの神様だそうですが、のちに学問、音楽の神様としても親しまれるようになりました。芸妓さんの多かった荒木町では皆が詣でたのでしょうか。小さな池も当時のままに静かな安らぎの空間がここにあります。
6 金丸稲荷 祠を守る二尾の狐の像が車力門通りを過ぎる多くの人々や車輌を、今日もジッと見続けています。イラストでは正面に鳥居がありますが、現在は横に移っています。いつのまに変わったのでしょうか。後背地は現在、小公園として整備されちょっとした憩いの場となっています。
7 坂道・小路 荒木町附近は大小さまざまな坂や小路が入り組んでいます。小路は別名ネコ路とも呼ばれていますが、たしかにこの辺りはネコが多く棲むようです。狭く入り組んだ街並はネコにとっても住み良いのでしょうね。暑い夏の夜に、涼を呼ぶためか扉を開け放した、とあるバーの入口にある水瓶に、必死に背伸びをして首を突っ込みゴクゴクと水を飲んでいるネコを見たこともあります。 石畳の敷き詰められた迷路のような路地を歩き廻るネコ達は、荒木町の主のような顔をしています。
8 四ッ谷三丁目附近 都心部をU字型に横断する地下鉄丸ノ内線は一気に全通せず、部分々々で開業していきまし。霞ケ関〜新宿間の開通は昭和34年3月15日のことです。その頃はまだ都電(路面電車)が都民の足として元気に走っていました。イラストには地下鉄開通頃の四ッ谷三丁目附近と添え書きがあります。長屋風の商店が連なる当時の様子は、ビルの林立する現在と較べるとまさに隔世の感があります。